ストーリー 2018 年 11 月 29 日

HIV陽性の介護(hù)者、アフリカのエイズ撲滅を目指して奮闘中

エンバカシ健康センターで働くドッティ?ニャンボク。
ケニヤのナイロビにあるエンバカシ健康センターでHIVの検査?治療に従事するドッティ?ニャンボク。
ドッテ?!ぅ衰悭螗堀?、ケニヤはナイロビにあるエンバカシ健康センターのHIVカウンセラーです。彼女が擔(dān)當(dāng)する患者リストの半分ほど終えた頃、彼女のテントに2人の少女が入ってきました。
18歳のヘリマがここへやって來たのは、ボーイフレンドからHIVが感染した怖れがあるからです。そんな彼女をサポートするために友人のウィニーも付き添ってきました。
ドッティは早速おなじみの儀式を始めます。消毒された針の包裝を解いて、ヘリマの指先にそれを刺し、にじんだ血液を試験紙の上に落とし、そしてタイマーをセットするのです。15:00、14:59、14:58…
15分のカウントダウンを待つ間、ドッティはヘリマに「テストが陽性だったらどうなると思う?」と尋ねます。ヘリマは厳しい確信の表情で「死んじゃう」と答えます。
ヘリマと彼女の友人ウィニーのカウンセリングをするドッティ。
ボーイフレンドからHIVに感染した疑いがある、ヘリマのカウンセリングをするドッティ。
指先を刺して血液サンプルを得るために使われる消毒された針。
HIVの素早い診斷には指先採血法が利用され、15分で陽性?陰性を判斷できます。
この瞬間こそがドッティが自分自身について語る時(shí)です。誰かが絶望的なまでに優(yōu)しさや希望を必要としていると感じた時(shí)、自分の境遇について打ち明けるのです。
「私はHIV陽性なの。だから、あなたがHIVに感染していても生き続けられるわ。治療を受ければいいんですから」
2人の少女が驚き、控えめな微笑みを交わ合ったエンバカシのテントこそ、Appleが2012年から(RED)パートナー企業(yè)として支援を続けているHIV治療サービスを提供する施設(shè)です。
ロックバンドU2のボノと社會(huì)活動(dòng)家ボビー·シュライバーが設(shè)立した(RED)は、世界エイズ·結(jié)核·マラリア対策基金(グローバルファンド)を支援するために、その設(shè)立以來、累計(jì)6億ドル以上の募金を集めてきましたが、そのうち2億ドルは(RED)最大支援企業(yè)であるAppleとのパートナーシップから生まれたものです。
昨年、ケニヤでは新たに53,000件のHIV癥例が発見されました。若い女性の感染率は若い男性の2倍に上ります。この數(shù)字は大きいと思われるかも知れませんが、過去の狀況からは大きな進(jìn)歩なのです。
エンバカシ健康センターの女性たち。
エンバカシ健康センターは、HIVと無関係の一般的な醫(yī)療を求める人々も含め、數(shù)千人の患者の治療に當(dāng)たっています。
2000年時(shí)點(diǎn)では、ケニアの成人のうち何と9.3パーセントがHIV陽性という狀況でした。治療薬が不足していたため、世界保健機(jī)関(WHO)は同じ頃、救命用の抗レトロウイルス薬(ARVとして知られるエイズ治療薬)は、患者のCD4カウント(免疫システムの健康狀態(tài)を示す指標(biāo))が著しく低い値まで下がった場(chǎng)合に限って使用を認(rèn)める旨のガイドラインを規(guī)定していました。これが意味するのは、ARVが使用できるのは患者の病狀が極度に悪化した場(chǎng)合つまり、多くの場(chǎng)合、すでに手遅れの狀態(tài)ということです。
5:27, 5:26, 5:25…
こうした厳しい狀況は割りと最近まで、ドッティが19歳で妊娠していることが判明した2007年頃までは普通でした。妊娠中の検診を受けるためにクリニックを訪れたドッティは、HIV陽性であることを告げられ、徒歩で2時(shí)間も掛かる治療クリニックに行くように指示されました。カウンセリングもなければ、同情が示されることもなく、その後のフォローもありませんでした。
この経験は彼女の心に傷跡を殘し、自分の狀況は誰にも教えないし、治療も受けない、という負(fù)の感情を生みました。
ドッティの息子が彼女の腕に抱かれて息を引き取ったのは生後6週間の時(shí)でした。息子はその時(shí)見つけることができた一番小さな棺――料理油の箱に収められて埋葬されました。
數(shù)か月後、ドッティはエンバカシ健康センターを訪れました。
エンバカシ健康センター。
エンバカシ健康センターは、グローバルファンドからの支援を受けているケニア國內(nèi)の多數(shù)の施設(shè)のひとつです。
エンバカシ健康センターは、グローバルファンドからの支援を受けている、サハラ砂漠以南のケニヤほか7つのアフリカ諸國にある數(shù)千の施設(shè)のひとつです。
グローバルファンドはHIVの治療の抜本的な変革を助け、約1750萬の人々に対してHIV陽性と判定された時(shí)點(diǎn)からARVを提供する手法を採用することで、アフリカにおけるHIV治療の様相を急速に変えていきました。この結(jié)果、ケニアにおける新たなHIV感染件數(shù)は2000年以來52パーセントも減少したのです。HIV陽性の成人は、昨年時(shí)點(diǎn)で4.8パーセントまで減少しています。

「カウンセリングを始めることに決めました。私に起きたことは本當(dāng)に繰り返されたくないので」

2009年、エンバカシにHIV患者にARVを配布する特定施設(shè)として包括的ケアクリニック(CCC)が開設(shè)されましたが、これもグローバルファンドからの助成金により実現(xiàn)しました。
「グローバルファンドと(RED)はHIV陽性患者の人生に大きな影響を與えてくれました。HIV判定キット、ARVその他の治療薬については特に、私たちの資材と資金の80パーセントが助成金によるものです」と、エンバカシ健康センターを運(yùn)営するロビア·アネネ·マルは説明します。
引用によると、過去18年間に、HIVに感染して生まれる新生児の數(shù)は(子供の感染數(shù)が頂點(diǎn)に達(dá)した)2000年時(shí)點(diǎn)の1日當(dāng)たり1,200人から2/3近く減少し、現(xiàn)在では1日當(dāng)たり500人と少なくなっています。
3:13, 3:12, 3:11…
エンバカシ健康センターを訪れた最初の年、ドッティはメンター·マザーズ(助言者たち)を紹介されました。HIV陽性でありながらARVの服用によりHIV陰性の赤ちゃんを生んだメンター役となる母親たちのグループです。このグループは包括的介護(hù)クリニック(CCC)拡張の一環(huán)として、グローバルファンドの助成金により設(shè)立されました。
治療を受け始めて數(shù)か月後、ドッティは再び妊娠していることが分かりました。
2009年11月7日、ドッティは健康な男の子の赤ちゃんを生みました?!袱长欷巧皮い碛嗓扦蓼筏俊%猢`ガンがいるからです。この子が私の人生を救ってくれたんです」と彼女は言います。
モーガンが6歳になった年、ドッティはエンバカシ健康センターのメンター·マザーズの一員になろうと応募しました。
「カウンセリングをおこなうことに決めました。私に起きたことは本當(dāng)に繰り返されたくないので」と説明するドッティ?!杆饯恐袱工韦闲膜韦栅欷ⅳい扦?。誰かを診斷することで寄り添えるような気がするんです」
ドッティと息子のモーガン。
自分の人生を救って未來への希望を與えてくれたとドッティが信じている、息子のモーガン。
多くの施設(shè)で、ドッティのようなHIV陽性のメンター役が、HIVを抱えて生きる人々の人生を変えています。
「メンター役となる人々は、最も効果的なHIV治療プログラムにおいて欠かせない存在です。メンター役の方々が、それを最も必要とする人々を救う情報(bào)を確実に屆けてくれて、HIV·エイズ感染の汚名を払拭する強(qiáng)い原動(dòng)力にもなってくれます」と、(RED)で社會(huì)影響力を擔(dān)當(dāng)する最高責(zé)任者(CIO)のルイサ·エンゲルは説明します。
3年前、ドッティはエンバカシ健康センターで新しい職務(wù)に就きました。HIV診斷カウンセラーです。時(shí)々、彼女は患者の目の前でHIV診斷テストを?qū)g施して、自分が保菌者であることを表明しながら、それでも輝かしい人生を全うすることが可能であることを患者に示すのです。
患者の相談に乗るドッティ。
ドッティはエンバカシ健康センターでHIV診斷カウンセラーを3年間務(wù)めています。
「HIVについて別の理解の仕方をしてもらいたいんです。それこそが、自分の狀況を明らかにする時(shí)に私が願(yuàn)っていることです」とドッティは言います。
:03, :02, :01…
ドッティのテント內(nèi)に話を戻しましょう。ヘリマの診斷結(jié)果の準(zhǔn)備ができました。試験紙を、陽性·陰性の結(jié)果を示す2つのサンプルの間に置きます。
「あなたの目に見えたものがどういう意味か教えて?」とヘリマに尋ねるドッティ。
「陰性」とヘリマがつぶやいた瞬間、その場(chǎng)を取巻いていた緊張が解けました。自分の身の守り方についておしゃべりをした後で、ドッティは溫かいさよならの言葉と共に2人の少女を送り出しました。
陽性?陰性の結(jié)果を示す2つのサンプルの間に置かれた試験紙。
HIV陽性と診斷されても人生を全うできる。その方法について患者の相談に乗るドッティ。
その夜、ドッティは徒歩で帰宅する際に夕食用の肉を買い求めました。今年で9歳になった息子モーガンと2人で住んでいるワンルームのアパートでホットプレートで囲むつもりです。
夕食後の午後7時(shí)58分、ドッティの攜帯電話のアラームが鳴りました。モーガンが母親の病狀を理解できる年齢になってからの2年間、親子で毎晩繰り返してきた?jī)x式の始まりの合図です。
モーガンは小さなドレッサーのところまで歩いていき、錠剤入りの瓶を取り出しました。これを軽く叩いて慎重に一錠だけ取り出して母親に手渡すと、彼女はこのARV錠を水で飲み干しました。
以上がアフリカで起きている対エイズ戦爭(zhēng)の最前線です。そして同時(shí)に、どのようにエイズ戦爭(zhēng)に勝利するか、また一つの愛の表現(xiàn)と、思いやりの行動(dòng)についての話でもあります。
ドッティと息子のモーガン。
毎晩ベッドに入る前に、母親がHIV治療薬を服用するのを手伝う、ドッティの息子モーガン。

エンバカシ健康センターの畫像

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